メジロたちがやってきて
我が家の庭に柿の木があり、といっても渋柿なのですが、今小さい実が鈴生り状態です。熟した実を求めて毎日メジロの群れがやってきます。その鳴き声も動きも見ていて飽きません。今朝宅急便の方が見えて、「あゝメジロですねぇ。僕は子供の頃飼っていました。メジロは季節によって鳴き声が変わるんですよね」とのこと。あの声がどんな声に変わるんだろう、と興味を覚えました。聞いてみたいですねぇ。そういえばキリストはこう言われました。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか」。実感です。
手をつないだらいい
阿南慈子さん、31歳で難病多発性硬化症と診断、33歳で失明、200年11月、46歳で召されました。私が阿南さんを京都のご自宅にお訪ねしたのたった一度。しかし彼女が口述筆記で残した数々の言葉は今も私の心に美しく力強く響いています。
今日はそんな1つをご紹介したいと思います。
「手をつないだらいい」
「ねぇ しんどいときはどうしたらいい?」
ふと問いかける私に 彼は答えてくれた
「あんなぁ しんどい時は手をつないだらいい」
そしてそばにきて そっと手をつないでくれた
知的障害者と呼ばれている彼らは
生きていくための一番大切な
深い真理が見えているのかもしれない
人間にとって一番大切な
深い真実が見えているのかもしれない
悲しい時は どうしたらいい?
かなしい時は手をつないだらいい
淋しい時は どうしたらいい?
さびしい時は手をつないだらいい
辛い時は どうしたらいい?
つらい時は手をつないだらいい
苦しい時は どうしたらいい?
くるしい時は手をつないだらいい
泣きたい時は どうしたらいい?
なきたい時は手をつないだらいい
そんな時は手をつないだらいい
そんな時は手をつないだらいい・・・
阿南さんはどうして「悲しい」「かなしい」、「淋しい」「さびしい」、「辛い」「つらい」、「苦しい」「くるしい」、「泣きたい」「なきたい」と、漢字とひらがなで書いたのでしょう?
おそらく優しい人、生きていくために一番大切な深い真理が見えている人、人間にとって一番大切な深い真実が見えている人、そういう人がそばにいてくれる、その人に「どうしたらいい?」と問いかけることができる、その時にはもうすでに「悲しさ」「淋しさ」「辛さ」「苦しさ」「泣きたい気持ち」が変質し始めているということを言い表したかったのではないでしょうか?
あなたは誰と手をつががれるでしょうか?夫、妻、兄弟、姉妹、お友だち・・・、そっと手をつないでみたらどうでしょう? そうそう、イエス・キリストとも手をつないでみたらいかがでしょう?
思い出すこと
私は犬が好きで、結婚以来ずっと飼ってきましたが、今はいません。
最初の犬レイが死んだとき、私は彼の存在を忘れないために椿の苗木を庭に植えました。椿にはいろいろ名前があるようですが、忘れました。それが今では2メートルを越す木になり、今年もピンクの花をたくさん咲かせています。その花の一つ一つが愛犬の思い出のように思われます。たくさんの楽しい思い出を残していってくれたのだと思いました。どうも私たちは与えたものよりも、もらったものの方が多い気がします。「レイ、ありがとうね。お前のことをこれからもずっと忘れないよ」。そんなことを心の中でそっとささやいていました。
「バンザイ」
大岡信氏の『新折々のうた』を読むのは私の楽しみの一つ。最新巻の帯に「29年に及ぶ〈うた〉の旅の最終章。通算6762回、〈現代の万葉集〉シリーズ完結」。ずいぶん楽しませて頂きました。その中に俵万智さんの歌がありました。「バンザイの/姿勢で眠り/いる吾子よ/そうだバンザイ/生まれてバンザイ」両手を挙げて眠っている姿を見るにつけ、その子の誕生と成長に無条件に「バンザイ!」と言いたくなる気持ち、まったく同感です。教会には育児真っ最中のお母さんたちの集まりがあり、「聖書に親しむ会」と言います。お母さんといっしょにやってくる少々はにかんだような小さな子どもさんを見るにつけ、「君の存在そのものがバンザイだよ!」と言いたくなります。ちなみに今度の「聖書に親しむ会」は1月22日(火)午前10:30〜12:00です。